仕事の備忘録

IT系技術とか、カスタマーサービスとか

技術的負債の返却は「変わりたい」意思がすべてだと思う

今月末で長年携わったシステムがサービス停止する。10年以上社内システムの一角として動いていたが3月末でサービス終了となった。思い出話と技術的負債を返却した話として書いておく。

かかわってきたシステムは最近でいう「技術的負債」という言葉が流行る前から、何度も繰り返し負債返却を行って来た。日本の企業では珍しいのかもしれないが、会社が返却を肯定的な風土であるのだ。

しかし業務継続性と両立させるためコアを変えずに返却するという作業の連続だった。おかげでサービス停止まで10年前の利用データがコンバートして最新環境で自動で動くようになる仕組みが動いてたくらいだ。業務継続性を担保することで、代わりに積もってきたコアシステムへのメンテナンス工数が重荷となったため、全面刷新を検討することとなった。当然今までの業務同様受注ため提案を上層部が行っていたことは知っている。が、最終的に全面刷新ではなく、すでに実績があった他社システムの改修で対応することとなった。負けた点はいくつかあるのだとは理解している。

正直弊社的には痛手だった。数十人いる部署の主力となる売り上げが数年後0になるのだ。であるはずだが、その話を上司から聞いたとき私はつい

「私たちラッキーじゃないの。」と返事した。

なぜなら、当時を振りかえれば技術的負債に追われ、開発工程の改善にも限度があったからだ。それによる運用コストがメンバー全体の疲弊を誘っていた。非常に優秀で業務改善へ積極的なメンバーたちだったが、テストファーストやJenkins利用もコア部分への適用は難しく新規追加する機能に限定しての対応となっており、一番コアとなる部分はどうしても職人技的な部分が残ってしまっていた。

それが停止するサービスとなったことで、追加投資が0になった。必然的に新規開発で売り上げを立てる必要がでた。上層部は大変だったはずだが、幸い取れた仕事に対してメンバーは全く異なる新しい開発言語、手法をもって開発できることを実証した。

決定から数年。ついに停止する前日になった。このシステム開発は最初社内からスピンオフしたベンチャー合弁会社内で担当していた。私は産休明けから配属されたものの、システム開発が忙しくてたびたび子供を連れて休日出社していた(会社がベンチャーっぽく緩かったこともある)。ワークライフバランスとか一切ない、24時間体制での業務なので、止まればすぐ電話呼び出し。属人化していたシステム。設計書もほぼなかった。当時から一緒に仕事をしていた方に、

「あの当時連れてきてた子供、もう中学生になったよ。早いもんだねえ。」

と告げたら、絶句した後

「それは、僕も年を取るはずです・・・」

とため息つかれた。

ねえ、と思いつつ私の手は全く別のシステムリリースを行っていた。すでに別業務が主担当である。この数年徹底的な属人化解消と情報共有、そしてモダンな開発手法での新規システム構築など様々な部署内での試みが有機的に働いて非常に効率的となり、いつの間にか今年の新人は「所属してから残業したことないんですけど」とこの日告白を受けるまでになっていた(本人が優秀なせいもあると思う。結構仕事振っていたので)

とりあえず部署の皆が「変わりたい」という思いがすべてを変えたのだと思う。だから寂しいがすがすがしい。そしてそれを当たり前と若者が思うこと。それでいいのだ。皆新しいところでも十分やっていける。それは証明されているんだから。